私は今でも「理想のお母さん」とは程遠い。
少し前にのぶみさん作詞の歌詞が炎上していました*1が、本当にのぶみさんの歌詞に出てくるお母さんとは程遠い出来の母親です。
朝は弱いし、
外遊びに付き合うのは苦手だし、
テンションは基本低くて感情表現苦手だし、
料理もできればやりたくはないし、
片付けも苦手だし、
その癖子供には「片付けなさい!」って怒るし、
とにかく怒りに任せて怒ってしまうときもあるし、
本当に未熟だなぁと思います。
ちゃんとしなさいよ、と我ながら思うのですが…
作り置きを活用しつつなんとか簡単な料理を作り、たまーに重い腰をあげて公園に連れて行き、ライフオーガナイズやシンプルライフに憧れて少しずつ家をオーガナイズしていく、っていうのが現状の私の最大限の努力です。
理想のお母さんに近付こうと努力することは大事だと思いますが、それで苦しくなって余裕が無くなるようならその理想の呪縛からは一旦離れてみたほうが良いと思います。
キャパの大きさやカバーできる範囲は、人によって違うはずですから。
私は「理想の母親はこうだ!」という考えに縛られて余裕が無くなった訳ではないので、ちょっと違う話にはなりますが…。もし私があのまま夫との同居を続けていたら、私はもっと余裕が無くて「常に怒ってるお母さん」だったんだろうなぁ、というお話です。
ほんと、余裕って大事。
余裕皆無の結婚(同居)期間
今、私が同居当時の自分の日記やブログを読み返すと、もちろん一貫して「なんてヒドイ夫だよ!」とは思うのですが、同時に私自身についても「なんてイヤな妻だよ!」とも思います。
夫に恐怖心はあったものの、「完全に恐怖政治でコントロールされている状態」にも行き着いていなかったので、夫に言い返したり文句言ったりとかもしてました。(それも段々しなくなるんですけどね。通じないから。)
その言い方とか(無自覚ですが)煽ってた気もするし、普段から諦めとかイライラとかがにじみ出てたんだろうなぁとも思います。
そういう常に夫にイライラした状態だと、私の堪忍袋というかメンタルはいつでも破裂寸前な訳です。
その状態でワンオペ育児をしていたら、そりゃー膨らませ過ぎた風船のように些細な刺激でもすぐに爆発してしまうでしょうよ、ということですね。
幸い、夫との同居期間はまだ子供が乳児だったので、子供に対して怒るようなシチュエーションが余り無くて良かったのですが、これが1歳2歳になると子供に怒るような状況も出てくるわけで。
あの状態で引き続き子育てをしなくて、本当に良かったなぁと思います。
結構自己評価では争いを好まぬ平和的な人間だと思っていたので、あの当時の自分は本当に精神的にケアが必要な状態だったんだと思います。
とにかく余裕は全然無かったです。
離れて良かった、と再認識
別居当初、震えながら電話した行政の女性相談窓口で、「お母さんが笑顔で居られることが第一ですよ」と言われて私の迷いは無くなった訳ですが。
笑顔≒余裕が、理想のお母さんへの第一歩ですね。
*1:そもそものぶみさんの絵本はなんとなく苦手なタイプだったし、ご自身で号泣しながら朗読する姿に違和感感じていたので、ここでこれ以上は述べません。きっと歪んだ主観が入りまくるので。
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