モラル・ハラスメント被害者同盟の管理人さんのコラムを読んで。
モラハラdiary(2016.6.17【被害者は共依存か】)
モラハラの被害者は共依存なのか、という議論。
共依存ではない、という結論を出されています。
読んで私なりに理解した内容を書き留めておきます。
共依存は、端的に言うと、
「彼は私がいないとダメなの!」という状況に生きがいを感じている状態。
よく例にあがるのは、アルコール依存症の夫と、それを支える妻。
反して、夫の機嫌を損ねぬよう、
言葉遣いや行動に細心の注意を払い、先回りして気を遣うモラハラ被害者の場合、
間違ってもそこに「生きがい」や「喜び」は感じない。
「この行動で合っているのか?」とびくびく怯えているのがデフォルト。
「夫を支えることに生きがいを感じる」共依存
「夫の一挙一動に怯えて身動きがうまくとれなくなっている」モラハラ被害者
こう対比すると、
モラハラ被害者は共依存である、とは確かに言えないですね。
また、夫を仕事に送り出す際に、「どうか事故に遭って帰ってこないように」と願う被害者は多い。
逆に共依存の場合は、夫がいなくなれば即ち自分の生きがいである「夫へ甲斐甲斐しく尽くす」ということができなくなるので、そんなことは願わない。
やはり、共依存とは到底相容れない状態だと思えます。
私の場合…
「事故に遭って帰ってこなければいいのに。」
夫との同居時代、まさに、私も毎日毎日願っていました。
人様を巻き込むわけにはいかないので(事故というだけで迷惑ですが)、
「自損事故で即死状態」を切に願っていました。
そして、夫が夜帰ってくるたびに、「あぁ、今日も帰ってきた」と、
落胆とするとともに、息苦しい時間を過ごすのでした。
なんという精神状態。人の死を本気で願うなんて、自分で自分が信じられません。
結構、自分では平和主義者だと思っていましたし、争いごとや揉め事は大嫌いです。
(だからこそ事故という他力本願な思考に至るのかもしれませんが…)
夫に嫌悪感を抱くとともに、
そんな考えに至る自分自身にもほとほと嫌気が差していました。
一緒に過ごしていて、メリットや幸せは微塵もありません。
ちなみに、夫と距離を置いた今は、特に夫を憎む気持はありません。
夫が全面的に悪いとも思っていません。(酷い人だとは思います。)
ただただ、一緒にはやっていけないし、出来る限り関わりたくない。
お互い離れて、それぞれの人生を幸せに過ごせるように祈るばかりです。
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